入試もいよいよクライマックス。
もうあとできることは神頼みだけという。
なんでやねん?ww
いや、通り過ぎる際に”天神”の文字が目に入ったんです。
天神様といえば学問の神様・菅原道真でしょ?
お初天神、もとい露天神社はもともと学問成就を祈願するところなんですよ。
とてもじゃないけどそうは見えませんけどね
ここで真面目に合格祈願するのに若干の抵抗を感じましたが、
デカいアラカン婆が手を合わせている後姿を見た人の、ものすご~~~い違和感を想像すると、何か吹っ切れるものがありましたw
にしても
ピンクの柄杓て
道真公といえば梅。
めっちゃご利益ありそうで気分が上がります
ってこれはまさかの桃か? ←花音痴
天神様に祈ったことふたつ
まずはやっぱり子供たちみんなが第一志望に合格することです。
そのために何年も頑張ってきたわけですから。
ふたつめの願いはひとつめが叶った後のこと。
頑張って手にした合格の二文字のその向こうに失望が待っていませんように、と。
憧れの新天地って、往々にしてパラダイスじゃないんですよね。
入学するまでのハイテンションモードも手伝って、その落差でメンタル不調を起こして通院が始まり、不登校になって更に病状が悪化して入院、あげくは転校(退学)という、思い描いていた憧れの世界が瞬く間に雪崩のごとく崩れていくケースがわんさかあります。
なぜそうなってしまう?
きっかけは、まぁ教室の中での小さなトラブルなどの些細なことがほとんどです。
が、わたしたち世代と同じでホルモン分泌量が急激に変わって来るお年頃でしょ?
反してわたしたちと違って厚かましさはまだ持ち合わせていないため、衝撃をまともに喰らってしまうんですね。
『人間はそうやって成長していくもの。何を甘えたことゆーとんねん』と昔の人は言いますが、全てが成長に繋がる尊い苦労なわけないじゃないですか。
そんなもん苦労崇拝者のたわごとですわ。
黙ってぃ!と言いたい。 ←ゆーとるがな
また今は昔と違い、人間の生き方が多様性を失くしてるというか画一的になっているというか?
ここに祀られているお初ちゃんの時代より、実に40年ほど寿命が延びたのが大きな原因だとわたし的には思うんですが、9年間の義務教育に加えて高校3年大学4年、合計16年もの長きに渡り、学校という定型枠の中で押し合いへし合い小競り合いを繰り返しながら大人になる、それが今のジャパン・ノーマルです。
その中で子供たちに起こる”些細なこと”、これが昔の人が言うところの”些細なこと”と同じなわけがないんです。
些細なことはあっという間に人生を揺るがす重大事項に発展します。
それを乗り越える力のある10代なんて、ごくごく少数、一握りですよ。
だからもう一度言わせて貰う。
くそじじぃ、黙ってぃ!
でね、そういう現状を思うと、願いごとがもう一つ増えるんです。
もしもその子にとっての平和が第二志望の学校にあるのなら、どうかそっちに合格させてください
やっぱりこれですよね?
しかし勝利も味わわせてやりたいしなぁ、、、
などと願い事が定まらないまま、ピンク色の圧を背に受けひたすら祈るアラカン婆w
“ホワイトデーを目前にお初天神で真剣に手を合わせて祈っている年配女性がいた”
とかって誰かにツイートされそうwww
お初ちゃん19歳、徳兵衛くん25歳。
およそ300年前、ここで二人は命を絶ったんですよ。
けど当時は前述したように平均寿命が今より40年ほど短かく、あの世も人生とみなしていたわけなので、『あの世に行くためにこの世の命を絶った』と言った方がいいかもしれない。
当時の死は今の死と同じではなく、生きるためのひとつの選択肢。
あの世へ行くための最後の切り札。
お初ちゃんはそれを使って無事に困難を乗り越えたんです。
ある意味羨ましくもありますよね。
わたしなんかそういう宗教観は全くないんで、ひたすらアンビリバボーな世界に思えますが、あの世に行けば一緒になれる、あの世に行けば幸せな人生が待っていると思い込めるってのは、なんかすごいものを感じる。
実際、最後の切り札を懐に忍ばせて生きてきた当時のティーンエイジャーお初ちゃん、遊郭にいたわけなので苦労人だったとは思いますが、いつでも切り札を出せるということで、気持ち的には今の10代よりもしかしたら楽だったかもしれません。
じゃあそれを持たない今の10代、どないせーっちゅう話ですわ。
乗り越える力を持つ一握りになるには
結局ね、原点に立ち戻れるかどうかなんですよ。
夢も希望も何もかもめちゃめちゃに壊れても、”なんにもなくなった”ではなく、”自分しかなくなった”と思えたら、いくら時間がかかったてもまた歩き始めることができるんです。
もちろん真っ暗闇の中です。
必死に目を凝らしても自分を見つけることは困難です。
けど、何かに映して見ることだってできるんですよ。
何に?
お母さんです!
どんな時でも何があっても理由も聞かずに自分の味方をしてくれる人。
何度失敗しても最後は絶対勝つ!と何の根拠もなく信じてきってる奇特な人。
子供はそんなお母さんの中にいるかけがえのない存在=自分を見つけ、自分の尊さに気付き、生きているだけでまずは負けてなかったことを知るんです。
そしてまた再び歩き始める気持ちになれるんです。
お母さんがた、感動でしょ!?
しかーし
昨今の子供はこれになかなか気付かないという
かつてはへその緒で繋がっていた一心同体、母の想いが通じていないわけはないというのは、母側の勝手な妄想ってわけなんですね(哀)
伝えよう、その想い!
やっぱり態度や言葉といったわかりやすい形にするしかないんですよ。
一回じゃだめですよ。何か折がある度に、定期的に伝えるのがベストだとあいしんくです。
たとえば受験なんかは絶好のチャンスです。
よかったね、おめでとう!
この次に、「お母さんだけはあなたの味方」というフレーズを何らかの形で入れてあざとくアピールする、これでOKです。
わたしはいつも子供たちに、合格したら必ず「ありがとう」「これからも頼むで!」のツーフレーズをお母さんに言うよう頼んでおくんです。
そしてお母さんにはそのタイミングで、「任しとき!お母さんはずっとあんたの味方やで!」と言うようお願いするんです。
子供にはもちろん内緒です。
めっちゃ単純な方法ですが、これは思春期・反抗期の子供たちが合格の二文字を見て一瞬心を開放した隙を狙った作戦なんで効果は絶大。ぜひやってみてください。
わたしたちも原点に戻ろう
よくよく考えてみると、人生を棒に振ってしまう子供たちの理由、そうさせないための方法、ぜんぶ昔で言うところの些細なことじゃないですか?じじぃ絶対そう言うわ。
思えばわたしたち、定型枠の中で小競り合いを繰り返しながら大人になった初代です。
お初ちゃんの時代なら些細な事、簡単にできたことであっても、見えない枠の制限にいまだ囚われ、難しく考えてしまっているのかもしれません。
わたしたち自身も原点に立ち戻り、子供を通じて自分の尊さを再確認し、あの世ではなくこの世において、もうひと花もふた花も咲かせたいもんです
300年前のティーンエイジャーお初ちゃんの生きざまに想いを馳せつつ、『そこから何かを学び取れ』という学問の神様の声に耳を傾け、アラカン婆はお参りを済ませて大阪の街へ消えていきましたとさ、めでたしめでたし
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